タシケントに眠る日本人抑留者
第二大戦直後、中国東北地方、樺太や北方領土にいた日本兵は強制的にシベリアへ送られ長年労働を強いられた。厳しい環境の下、命を落とすものが少なくなかったと聞く。山崎豊子の不毛地帯を読むとその凄まじさが表現されている。
同行していた人が満州からの引揚者で、是非墓参りしたいということで訪ねた。ここには、ヤッカサライ墓地より79名、タシケント地区墓地より8名、計87名の日本人が眠る。碑には1990年5月23日、もうひとつに碑には1995年10月1日の日付が刻まれている。両方とも福島県という文字が読める。福島県出身者が多かったのだろうか。
ウズベキスタン国内ではタシケントの他にもコーカンドやフェルガナバレーに日本人墓地があると聞く。
抑留者が当時建設した木製の水道管やタシケントのナボイ劇場は現在も現役である。
永遠の平和と友好 不戦の誓いの碑 1990年5月23日 日ソ親善協会福島県支部 |
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永遠の平和と友好の誓いの碑 1995年10月1日 日本ウズベキスタン友好XX 福島県ウズベキスタン文化XX ウズベキスタン国際文化XX |
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墓地全景
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