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Lisbon, Portogal

1985年8月、リスボン

東西ヨーロッパ一周旅行の際、リスボンへきた。前回、1983年のヨーロッパ旅行では時間的制約からヨーロッパの西の果てまでは足を伸ばせなかった。このときは是非と思い、リスボンとヨーロッパ大陸西端の地、ロカ岬 (Cabo da Roca)まで行った。 この旅行は横浜港からナホトカ航路シベリア鉄道でモスクワ、レニングラードを経由してヨーロッパへ行った。そしてその西端、大西洋を望むロカ岬まで陸路でいったので、”横断”に値するかなと思っている。 リスボンへ着いたのは8月末だっただろうか・・・ ファドを聞きに行っていて、YHの門限に間に合わず玄関先で寝た記憶がある。

思い出しながら埋めていきます。

ユーラシア大陸最西端、ロカ岬へCabo da Roca

バスに乗ってユーラシア大陸最西端のロカ岬へ行った。切り立った崖の上に灯台がありその先にポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスの叙事詩「ウズ・ルジアダス」第3詩20節の一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeca)」を刻んだ石碑が立っている。岬はの位置は、北緯38度47分、西経9度30分だ。岬からは荒波の大西洋が広がっていた。(オリジナル写真を捜索中なので、下の写真はwikiからの借り物)

リスボンの街

薄汚い街というのが第一印象だった。これが世界を一時制覇したポルトガルの首都かと思ったものだ。

坂が多く、ケーブルカーが街中にあった。(準備中)

Fadを聞きに行ったら門限に間に合わず

リスボンに着たんだからFadを聞きに行こうということになり、Fadの聞けるレストランへ行った。しかし、Fadは10時過ぎからじゃないと始まらないという。サングリアを飲みながら延々と待ち、Fadが始まったがいい加減酔っぱらっていて居眠り状態、はっきり覚えていないが腹からの音声、しみじみとしたメロディーに演歌的だなあと聞いていた。あまりに遅くなってもいけないと思い、既にかなり遅かったが、歩いて宿泊していたYHまで帰った。案の定、玄関は閉まり、戸をたたこうが誰も出てきてくれない。仕方がないので相棒と玄関で蹲ることにした。幸い夏だったので何とかしのげたがもう2度としたくはない。6時ごろに玄関が開いたのでベッドへ直行し、チェックアウトギリギリまで寝た。

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1985年リンク