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イルクーツクからモスクワ・ヤロスラブリ駅(Moscow Yaroslavli)へ

1985年7月5日(土)-8日(月)

約9300キロの鉄道の旅は、ナホトカから足掛け8日(イルクーツクで一泊しなければで7日)でモスクワに着いた。イルクーツクから乗りつづけて4日目、モスクワのヤロスラブリ駅に到着した。モスクワの近郊では農家や高層住宅群、ダチャ(家庭菜園)が車窓から見え都市を感じた、モスクワは間近だと実感した。

イルクーツクからモスクワへ、1985年7月5日(金)から7月8日(月)

シベリア鉄道は、イルクーツクから夕方乗車し(ハバロフスクから乗ったロシア号と同じ時刻ではなく、もっと早い時間だった)、3泊4日を要してモスクワ・ヤロスラブリ駅に到着した。

イルクーツクからはクラスノヤルスク、ノボシビルスク、オムスク、チュメニ、エカテリンブルグ、ペルム、キーロフ、ゴーゴリ、そしてモスクワ・ヤロスラブリとなる。

クラスノヤルスク手前でエニセイ川を、ノボシビルスクでオビ川を渡るがインツーリスト添乗員から鉄橋の写真を撮らないように一通りの説明があった。

停車、とある駅にて

Trans-siberian Railway 1985

途中停車する駅で車窓から様子を眺める。夏の日差しを浴びゆっくりと時間が流れる。出迎えの人たち、出発の人たち、乗客目当ての売り子など賑わいがあった。女性のファッションが一昔前の印象だが、これがソ連だった。

(写真はとある駅での風景、列車からホームを撮影した。)


シベリア鉄道の列車内風景(1985年7月5日−8日)

毎日の食事は食堂車で食べた。料金は1-1.5ルーブル支払ったとメモにある。それ以外は持ち込まなければならない。ソ連人は何かしら持ち込んでいた。食堂車の客を見渡すと利用しているのはほとんどが外国人のようだった。列車の端にあるチャイ(紅茶)サービスがあり、これを良く飲んだ。

停車する度に客が入れ替わる。あるとき私のコンパートメントに代表的な立派な体格のソ連人(多分ロシア人だろう)母子が乗り込んできた。乳幼児がいたので3人だった。外国人を見慣れているのかそれほど関心がないのか、私がいることをまったく意に介さず行動していた。

Trans-siberian Railway 1985 Trans-siberian Railway 1985
食堂車 途中から同室だった乗客

停車駅の地面 (1985年7月5日−8日)

陸上とはいえ鉄道に乗りっぱなしなので列車が停車すると、皆で、ホームに降り、地面を踏んだ。ナホトカから添乗していたインツーリストのマリナとよく食堂車でおしゃべりした。ロシア語ではない、、彼女は日本語を学んでいたので日本語での会話だった。

Trans-siberian Railway 1985 Trans-siberian Railway 1985
Trans-siberian Railway 1985

食堂車でインツーリストとマリナと。

イルクーツク以西の広大な大地、走り続けるロシア号(1985年7月5日−8日)

イルクーツクからはほとんど景色が変わらず広大な大地を延々と走り続けた。二日目か三日目の早朝、お花畑の中で列車が時間調整のため停車していた。何と素晴らしい光景だろうか。また、広大な大地へ沈む夕日も印象深かった。

Trans-siberian Railway 1985 Trans-siberian Railway 1985

シベリア鉄道内(1985年7月5日−8日)

2等寝台車、両側に上下2段のベッドがある。天井が高く空間的には余裕があったし、ベッドも十分なスペースだった。1等寝台車は確か一車輌しか連結されていなかった。2等との違いは、ベッドが2段か1段か、つまり4人用か2人用かの違いだった。

やることといえば、寝るか、食事をするか、おしゃべりをするか、こんなにゆっくりと時間が流れることはそうあるものではなかった。各車輌の端に車掌が乗務しており、そこで、時々チャイをもらった。コンパートメントの外が廊下になっており、変わらぬ車窓を何度も見直した。

Trans-siberian Railway 1985 Trans-siberian Railway 1985 Trans-siberian Railway 1985
コンパートメント2等 食堂車とウエイター インツーリスト添乗員Marina

モスクワは間近

車窓から都市の雰囲気が感じ始めた。遠くにアパート群が見え始め、そろそろモスクワだろうか。以前、本で読んだ都市住民の菜園兼別荘のようなダツィアが時々見えてきた。

Trans-siberian Railway 1985 Trans-siberian Railway 1985
モスクワ近郊の農村 モスクワ近郊の住宅地

モスクワ・ヤロスブラリ駅到着(1985年7月8日、月曜日)

Moscow Yaroslavli Station 1985午後4時40分、モスクワ・ヤロスラブリ駅に到着。横浜港を出てから足掛け10日目にしてモスクワへ到着。モスクワはユーラシア大陸を鉄道で横断した終着駅であり、これからのヨーロッパ旅行への始発駅でもあった。この駅にはインツーリストの事務所があり、そこへナホトカから一緒だったインツーリストの添乗員らと出向いた。

この添乗員はグループの添乗員で私の旅行とは関係がなかったがいろいろと面倒をみてもらった。指示によると車が用意されており、ラダではない大きなソ連製の車でホテルへ連れて行かれた。ここにも日本語のよくできる(この人はNHKのロシア語講座にも出演していたナターシャという女の子だった、彼女がそう私に説明した。)人がいた。そうでなければ、右も左もわからないわけだからお手上げだっただろう。

イルクーツク、シベリア鉄道リンク