ナホトカ航路シベリア鉄道の旅Trans-siberian Railway
1985年6月29日、横浜港大桟橋から出航し、3日目の7月1日にナホトカ港着、ナホトカ太平洋駅から極東鉄道に乗車した。ここからシベリア鉄道の旅が始まった。本来のシベリア鉄道はウラジオストクを起終点とするが、ソ連時代は軍港のため外国人の立ち入りが禁止されていたため、ナホトカ経由となっていた。(1992年1月に外国人へ開放)
ナホトカを出発した列車は直ぐにシベリア鉄道本線へ合流する。翌日、ハバロフスクでロシア号へ乗り換え、更に車中で2泊してイルクーツクに到着した。イルクーツクからモスクワまでは更に3泊4日の時間を要する。モスクワ・ヤロスブラリ駅に着いたのは7月7日夕刻だった。
シベリア鉄道は世界一長い鉄道としてその名が知られている。全長9,297km、ロシア号はモスクワ−ウラジオストク間を7日かけて走破する。
ソ連邦時代の外国人の旅行は、事前に全て予約が完了していないとビザが発給されないシステムであった、そのときの旅程は以下の示すとおり完全に固定されていた。つまり、外国人がソ連国内をうろうろしてはいけなく、全て管理下に置かれていたということだ。
旅程 | シベリア鉄道・点描
Yokohama > Nakhodka > Khabarovsk > Irkutsk > Moscow Yaroslavli
【シベリア鉄道地図】
出典:WayToRussia.netに加筆 当時はナホトカからでした、現在はウラジオストックです。 |
横浜発ナホトカ航路・極東鉄道・シベリア鉄道経由モスクワ行き、
ナホトカ航路シベリア鉄道とソ連国内の旅程
ビザ申請したとおりのスケジュール、モスクワまではツアー客も一緒だったのでインツーリスト添乗員が付いたが、それ以降は一人、要所要所でインツーリストがサポートした。
1985年6月29日、横浜港大桟橋を11時に出航し、三日目にナホトカへ、ここから極東鉄道に乗り、翌日、ハバロフスクで、ロシア号へ乗り換え、イルクーツクへ。ここで、一泊しバイカル湖畔の観光村ロストヴァンカへいった。翌日、再度ロシア号へ、10日目にモスクワ・ヤロスラブリ駅へ到着。翌日、ドニエプル号でキエフへ行き
アエロフロート国内線でモスクワへ戻った。レニングラードへ出発するまでモスクワ散策を楽しみ、レッドアロー号でレニングラードへ、夏の宮殿ペトロドヴォレツへ立ち寄り、16日目にヘルシンキへ向けて出発、翌朝、ソ連を出国しフィンランド入国、ラハチで下車した。
日順 | 日付 | 旅程 | 宿泊 | 備 考 |
1 | 1985年6月29日 | 横浜11:00−> | 船内 | 横浜港大桟橋から出航 |
2 | 1985年6月30日 | -->-->--> | 船内 | 津軽海峡を経由 |
3 | 1985年7月1日 | -ナホトカ−> | 列車内 | 午後ナホトカ港着、バスで極東鉄道・太平洋駅へ |
4 | 1985年7月2日 | -ハバロフスク-> | 列車内 | 極東鉄道ヴォストーク号からシベリア鉄道・ロシア号 へ乗り換え |
5 | 1985年7月3日 | -->-->--> | 列車内 | シベリアの原野をひた走る |
6 | 1985年7月4日 | -イルクーツク | イルクーツク | 夕方イルクーツク着、アンガラ河畔に位置する インツーリストホテルへ |
7 | 1985年7月5日 | イルクーツク-> | 列車内 | バイカル湖畔見学、午後一日遅れのロシア号へ |
8 | 1985年7月6日 | -->-->--> | 列車内 | 列車は走る |
9 | 1985年7月7日 | -->-->--> | 列車内 | 列車ひたすら走る |
10 | 1985年7月8日 | −16:40モスクワ | モスクワ | 午後4時40分モスクワ・ヤロスラブリ Yaroslavli駅到着 |
11 | 1985年7月9日 | モスクワ--> | 列車 | 夜行列車ドニエプル号でキエフへ |
12 | 1985年7月10日 | -キエフ- | キエフ | 早朝キエフ着 |
13 | 1985年7月11日 | キエフ-->モスクワ | モスクワ | 午後、国内フライトを利用してモスクワへ |
14 | 1985年7月12日 | モスクワ--> | 列車 | 夜行急行列車レッドアロー号でレニングラードへ |
15 | 1985年7月13日 | -レニングラード | レニングラード | 早朝着 |
16 | 1985年7月14日 | レニングラード- | 列車 | ペトロドヴォレツへ 夜行列車でフィンランドへ |
17 | 1985年7月15日 | --> | ラハチ | ソ連邦出国、フィンランド入国 |
(当時のメモから作成)
シベリア鉄道の距離とシベリア鉄道時刻表
ウラジオストクが利用できないのでナホトカからボストーク号に搭乗し、ハバロフスクでロシア号へ乗り換える。
ナホトカ港(チーホアケンスカヤ駅(太平洋駅)) 9446km
ハバロフスク 8531km
イルクーツク 5191km
モスクワ 0km
シベリア鉄道リンク
シベリア鉄道情報
シベリア鉄道乗車記
- シベリア鉄道 初級講座(1982年/2000年)
- ヨーロッパひとりたび(ソ連時代、年不明)
- ヨーロッパ・北アフリカの旅−ナホトカ航路とシベリア鉄道(1971年)
- シベリア鉄道の車窓から(昭和64年夏はないはずだが、1989年か?)
- 貧乏旅行の話−シベリア鉄道に乗る(1973年)
- ヨーロッパ鉄道の旅−シベリア鉄道(1987年)
- ロシア、冬の芸術祭を尋ねる旅(1973年12月)
- 1992年シベリア鉄道9200キロ
- シベリア鉄道の旅(1995年2月)
- シベリア鉄道紀行15日間(2004年7月)
- シベリア鉄道の旅(2000年8月)
- ユーラシア大陸一周旅行記、シベリア鉄道の退屈(2001年)
- シベリア横断9300キロ(2003年)
- 1968年東欧夏の旅